結婚しないという選択も強い意思がないと出来ないという話

結婚って大人になったら勝手にできるもんだと思ってた

小学生のころ、30歳ってもっと「大人」だと思ってた。結婚して、子どもがいて、スーツ着て仕事してるような。
だけど今、自分がその年齢になっても、冷凍チャーハンに救われてるし、週末は漫画読んで寝てるし、結婚なんて気配すらない。

そして気づく。「結婚って、人生のオートセーブ機能じゃなかったんだ」と。

なぜ結婚に積極的になれないのか

恋愛が嫌いなわけじゃないし、人と一緒に暮らすのも案外楽しそうだ。だけど、結婚となると話は別。
紙1枚で「永遠にあなたと人生を共有します」って、すごくない? 現代人のスピリチュアル、そこに極まれりって感じ。

それに、自分が選ぶ人生を「これでよし」と思える自信が、まだない。結婚って、誰かの人生と自分の選択を同時に背負うことなんだもん。

逃げても結婚が迫ってくるパターン

SNSを開けば、結婚式の写真。実家に帰れば「いい人いないの?」。会社では「そろそろ身を固めたら?」。
どこに逃げても、結婚という文化圏からは逃れられない。

まるで、「結婚」が現代日本における“宗教未加入者にやさしくない設計”みたいになってて、無所属で生きるの、実はすごく体力使う。

結婚しないというのも強い意志がいる

「結婚しないって言ってるけど、理想高いんでしょ?」「本当はしたいんでしょ?」なんて、探られる。
いや、してもしなくても、どっちも人生設計のひとつでしょ。

それでも「しない」というのは、誰かに流されず、社会的圧に飲み込まれず、「自分の足で立ってる」ってこと。
むしろ「しない」って決めるには、相当な覚悟と、寂しさと、戦略が必要なんだ。

同じ日常が死ぬまで続くという恐怖

結婚生活に安定を求める人が多いのはわかる。だけど、「ずっと同じ相手」「同じ家」「同じリズム」って、ホラーでもある。
一歩間違えば、安心じゃなくて惰性。

独身でいると不安定かもしれない。でも、それって裏を返せば、毎日選びなおせる自由があるということかも。

結婚するもしないも結局死ぬ時にしか正解だったかはわからない

結婚してよかった、という人もいれば、離婚してやっと人生が始まったという人もいる。
独身を謳歌してた人が、最後に孤独に震えてた話もあれば、最後まで自由を満喫してた話もある。

つまりどっちを選んでも、正解かどうかなんて、人生のエンディングロール見ないとわからない。

だからこそ大事なのは、誰かの「正解」に合わせることじゃなくて、「自分の選択に責任持つこと」なんじゃないかと思う。

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